隣人援助は、善いことでなく、愛のわざ

 隣人援助のわざは、愛のわざであって、善いことをするのとは異なる。善いことをするときに傷つくことはないが、愛するときは傷つくことがある。援助者は傷つくことを恐れてはならない。

カウンセリングの学習を志す方に「カウンセリングの勉強をして人様の役に立つような善いことをしたいと思います」とおっしゃる方がいます。そういうときに「カウンセリングの働きは、善いことをするというより隣人を愛することです」と申し上げることにしています。確かにカウンセリングは、他人さまの問題を解決するための援助の働きですから、善いことには違いありません。でもカウンセリングは善行とは少し違います。                        善行は自分にとって善いと思うことをすることです。その結果についても善いことをしたという気持ちが付いてくることでしょう。カウンセリングの働きは自分にとって善いことをしているのではなく、相手にとって援助となることは何かを求めることなのです。カウンセラー側にとって不都合であっても、来談者にとって結果がよければカウンセリングの目的は達成されます。その意味では愛のわざというほうがふさわしいのではないでしょうか。                      聖書に「敵を愛しなさい」という言葉があるように、愛の対象は敵であることもあります。攻撃してくる相手を援助するときには援助する側が傷つくことだってあるでしょう。相手にとって援助となっても、援助者側には不都合なことが起こり得るのです。隣人援助のわざは泥沼に足を踏み入れるようなものだと言われます。苦悩や痛みを相手と共有しながら、何が相手にとって最も援助となるかを探す働きは、傷を負う事もしばしばです。その傷の痛みを自分のものとして引き受ける包括的な態度が援助する者には求められます。