あなたは本当に「支援したい人」を目の前にして
「寄り添う」ことができていますか?
- クライエントの話を聞いても、何もしてあげられないと感じることはありませんか?
- 助けてあげたいのに、適切なアドバイスが見つからず無力さを感じたことはないですか?
- 心理学を学んでも、実際の現場でどう活かせばいいのかわからないと悩んでいませんか?
もし、あなたが「本当の寄り添い」を学びたいなら、CCCで学ぶキリスト教カウンセリングにそのヒントがあります。
キリスト教カウンセリングとは?
CCCで学ぶキリスト教カウンセリングは、単なる「人生相談」や「指示的カウンセリング」ではありません。
徹底した寄り添いの実践を通じて、
- クライエントが自らの力で前に進む力を引き出す
- カウンセラー自身がご自身の「無力さ」を受け入れ、真の共感を生み出す
- スピリチュアルな視点から、クライエントの深い悩みに寄り添う
この3つの要素を大切にしたカウンセリングです。
一般的なカウンセリングとの違い
📌 「助けてあげる」ではなく「共にいる」
一般のカウンセリングでは、クライエントに対して解決策を提示することが重視されます。しかし、キリスト教カウンセリングでは、カウンセラー自身が「無力さ」を認めることで、クライエントと真に寄り添う姿勢を学びます。
📌 心理学+スピリチュアル・ケア
一般的な心理学では解決できない深い問いや、人生の痛みに向き合うため、キリスト教カウンセリングではスピリチュアル・ケアの視点も重視しています。
スピリチュアル・ケアとは、文字通り、魂や精神へのケアのことです。
精神世界とか霊界、精霊のようなサブカルチャー分野に分類される怪しげなものではなく、
元々はWHOでも定義された緩和ケアなどの医療分野で課題とされたケアです。
「WHO定義」(2002年)
緩和ケアとは、生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者とその家族のQOLを、
痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に見出し的確に評価を行い対応することで、苦痛を予防し和らげることを通して向上させるアプローチである。
例えば末期癌患者、災害被災者のように命の危機にあるような場合、
生きる意味の喪失、諦め、場合によっては自暴自棄のようなメンタリティになってしまうこともあります。
そんな時、治療対象者として相手を扱うだけではなく、その命への問いかけに向き合う人に寄り添う、心のケアをスピリチュアル・ケアと言います。
具体的にはカウンセリングのように痛み苦しみの言葉を傾聴する、その人の傍に寄り添う、
その上で具体的な行動が求められれば対応することです。
イエス・キリストの「人と愛し合いなさい」という教えを基礎とするキリスト教カウンセリングは、
その精神でメンタル・ケアの学びに取り組むことで、それ自体が「他者と共にいる、寄り添う」というスピリチュアルな課題に向き合っているとも言えます。
📌 福祉・教育・医療現場で活かせる実践的スキル
心理職だけでなく、
医療・福祉関係者
教育関係者
対人支援職の方
など、人と深く関わるすべての職業で役立つスキルを身につけることができます。
キリスト教カウンセリングを学ぶことで得られるもの
- ✅ クライエントの心を開く、本当の「寄り添い」
- ✅ 「無力さ」を受け入れ、より深い共感が可能に
- ✅ スピリチュアルな視点を持ち、クライエントの深い悩みに寄り添える
代表的な受講生の声
<対人支援職>
「人を変えられる」と思うこと自体が、傲慢であることに気づかされた。
子どもの居場所づくりのボランティア活動の中で、困難を抱える子どもたちの気持ちに寄り添う方法を学びたくて受講しました。当初は、温かい言葉かけや心理学的知識を学ぶつもりでしたが、「人を変えられると思った時点で、あなたは何も知らない」という講師の言葉に衝撃を受けました。
学びの中で、自分の思考の癖や価値観に縛られていたことに気づき、「子どもたちを励ましたい」という気持ちが、実は自己満足だったことを思い知らされました。交流分析の講座で「I am OK」「You are OK」という関係性を学び、自分の中にあった「優しく責任ある大人でなければならない」という価値観が、時に非難や攻撃につながっていたことも理解しました。
今は「理想の大人」でありたいと願いつつ、それができなくても自分を肯定できるようになりました。他者もまた、様々な事情を抱えていることを受け入れ、理解できなくても尊重する大切さを学びました。
<人事コンサルタント>
クライエントが何度頷いてくれるか、が良いコンサルティングの指標だがカウンセリングでは「頷くのはカウンセラー」。
私は人事コンサルタントとして25年間、お客様のご相談に乗ってきた経験がありますが、カウンセリングはコンサルティングとはアプローチ方法が全く違うことがよく理解できました。コンサルタントがクライエントにいくつかの解や選択肢を与えるコンサルティングに対し、カウンセリングはクライエントに気づきを与え、クライエントが自分で解を見つける手助けをすることである、という点が新鮮でした。
この違いを念頭に置くと、カウンセラーのとるべき姿勢はコンサルタントとはかなり異なるように思いました。クライエントが何度うなずいてくれるか、というのが良いコンサルティングの指標でしたが、カウンセリングでは「頷くのはカウンセラー」です。
クライエントに寄り添う姿勢をクライエントが感じてくれなければカウンセラーは信用してもらえず、またクライエントの心の奥にある課題を引き出すことはできないことを考えると、良き隣人としての傾聴は本当に難しいと実感しています。
<保護者>
共感したつもりが、ちゃんと耳を傾けていなかった。
長男が発達障害の診断を受け、子育てに奮闘悩みぬいた時代があるので、「子育てが難しくて」と相談を受けるととっさに「すごくよくわかる!」と言っていました。
難しさが似ていれば理解できる気がして何かアドバイスしたくなります。
でも、聴いてみると発達障害の程度も違えば、お母さんの訴えている感情も私とは差があることを実感して、共感したつもりがちゃんと耳を傾けていなかったと後で反省する日々でした。
キリスト教カウンセリングの講座受講後、人の話を聴いたり相談に乗るとき、相手の心に寄り添えるようにかなり意識するようになりました。 すると、自分の思いが前に出た理解の仕方をしていたり、わかったつもりになって聴いている自分に気が付きました
次々と浮かんでくる自分の思いを把握しつつ、それに舵を取られてしまうことなく、最後まで相手の感情とペースに寄り添って話を聴くことができるよう心掛けるようになりました。
<介護福祉士>
その人がそこにいるというただそれだけで尊いこと。
認知症のご家族の傾聴ができるようにと学び始めた。自分を知り、自分と向きあう、自分の傾向、強さ、弱さを知り、自己受容することがカウンセリングに必要と学ぶ中で、私は自分に向き合うことをなるべくしたくないのだと気づき、そんな中でのエゴグラムはとても興味深かった。 高い箇所を縮めるより、低い箇所を伸ばすようにする。この考え方がとても面白く思った。 自分の傾向を知り、コミュニケーションが上手くいくようにしていくことが出来たら日々の生活にも役立つだろうと思う。
また、発達課題「静かなるときの流れと同一性の完成へ」の中で学んだこと。 老人ホームなどでただ何も出来ず車椅子に腰掛け、うつろな目で外を見ている人たちに出会うことが多いが、それは自分の心の中の長い時間と、自分が生きて来た今までの時間をつきあわせている静かな瞬間であり、それこそ「私は私であったのだ」という自我同一性の最後の作業中であるように思える、という考え方に驚いた。 研修等で老人ホームに行った時にそのような光景を見て、何だか悲しい気持ちになったことを思い出した。 「その時は人生で最も高度な作業中なのである」という考え方は仕事をする上で大切な考え方だと思った。「その人がそこにいるというただそれだけで尊いことなのだというこころを持つ」そうありたいと思った。良い相談相手になれるように学んでいきたいと思う。
<牧師>
問題の核心を突きたい気持ちがどうしても出てきてしまうことに気づいた。
今期は、「あくまでクライエントの気持ちに寄り添う聴き方」について学べたことが私にとっては大きな収穫であった。私が牧師として今遣わされている教会に転任して間もないころ、一人の教会員の方から依頼されて面談したときのことを思い出す。悩みごとを持ち出してこられたその教会員の方に牧師として何とかその問題に切り込んで、良い導きをもたらしたいという思いが私の中で強すぎたのだろうか?かえって、相手を傷つける結果に終わってしまったように思う。今になって考えてみると、「問題は何か」をあまりにも早急に捜そうとしていたのかもしれない。もっと反射などの技法を用いて、クライエントの気持ちに寄り添う聴き方ができていたらよかったのにと残念に思う。そういう意味では、今期の学びはもっと早くに学んでおきたかった内容であったが、これからの牧会などに活かしていきたい。
また、今期の最後の授業では、1人のクライエント役に3人のカウンセラー役が『リレー形式』でカウンセリングをするという演習を行った。私はオブサーバーとして観察していたが、クライエント役の方がご自分の抱える不満や寂しさなどをとりとめもなく話しておられた。 要領を得ないというか、的を得ないような話し方だった。これを見ていて、私が思ったことは、何か具体的な問題や出来事を聞きたい、もしくは聞き出したいということだった。カウンセラー役の人たちも同じ思いだったようで、時おり、切り込むような質問をされていたが、全体としては無理に聞き出そうとはせず、むしろクライエント役の人の言うことをじっくり聞こうという姿勢であったと感じた。この時に気づいたのは、私の中には『はやる気持ち』があるということ。何か早急に問題の核心を突きたいという思いがあるということ。しかし、そこを急ごうとすると、クライエントは心を閉じてしまうかもしれないので、ゆっくりと、じっくりと聞きながら進んでいくことが大切だと学んだ。
こんな方におすすめ!
- 🔹 対人支援職に就いているが、「本当の寄り添いとは何か?」を学びたい方
- 🔹 心理学を学んでも、実際にどう活かせばいいのか悩んでいる方
- 🔹 思春期の子どもが何を考えているのかわからない、どう接していいのかもわからない方
- 🔹 クライエントの深い痛みに向き合うためのスキルを身につけたい方
- 🔹 自分自身の考え方の癖や人との接し方など、深く知りたいと感じている方
今こそ、CCCの扉を開こう!
キリスト教カウンセリングの学びは、あなた自身の支援のあり方を変えるだけでなく、クライエントの人生を変える力を持っています。
あなたも、CCCで本当の「寄り添い」を学びませんか?