人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
(マタイによる福音書7:1)
傍目八目という言葉があるように、他人のことはよくわかるものである。ほんの少しの欠点でも目について、なんだかんだと文句を言いたくなる。そのくせ自分のこととなるとさっぱりわからない。イエスは自分のなかにある丸太に気づかないで、兄弟の目にあるおが屑には気がつくのが人間だと言われる。
イエスが、人を裁くなと言われるときには、相手はよく見えていても自分自身が見えなくなっているということが意味されている。確かに他人は見えているいるようである。しかし見えているようで、自分の目の中にある丸太によって、相手を正しく見ることができなくなっている、その自分が見えていない。つまり自分の勝手な判断で相手を裁いている。
場合によっては、言いたくないけれども、事情が事情だから、やむを得ず相手に注意しなければならないことだってあるにちがいない。そのようなときには、まず自分自身のことを良く振り返ってみることである。おそらく自分のなかにある丸太に気づくに違いない。その丸太を取り除いてはじめて、相手に言わねばならぬことを伝える条件が整うのである。